タロックス・ブレーキの歴史は、生みの親であるジャンニ・タローニの歴史と共にあります。
70年代半ばプロのレースドライバーとして活動した後、F1ドライバーのジャンカルロ・バゲッティと出会い、彼と共に世界の国々を回りブレーキに関しての様々な研究を積み重ねていきました。
その研究の成果が初めて開花したのが80年のゾルダーでのF1グランプリでした。ブレーキングが重視されるこのサーキットで、当時のリジェのドライバー、ディディエ・ピローニがタローニが考案した断熱キャリパー・ピストンを使い、見事優勝を飾ることとなりました。以後、ウイリアムズ、マクラーレン、アルファ・ロメオ等多くのチームが、タロックスのキャリパー・ピストンをレーシング・カーに採用していきました。
82年にはタロックスを採用したウイリアムズのケケ・ロズベルグがシリーズ優勝を果たしています。
以後、タロックスのキャリパー・ピストンは耐久レース、ツーリングカー、ヒルクライム、ラリー等、様々なカテゴリーで採用され、数々の栄誉を授かってきました。
83年、タロックス最初のスリット・ローターC83が一般車用に製作されました。C83の性能は高い評価を得ましたが、タローニは更に研究を重ね、88年にはタローニ社の主力商品であるG88ディスク・ローターを完成。そのユニークなデザインと非常に高いブレーキ性能は、それまでのハイ・パフォーマンス・ブレーキディスクの概念を新たにすることとなりました。また、同時期、日本のマーケットからの強い要望に応え、スリットとドリル・ホールのコンビネーション・ディスク、Sport Japanがリリースされました。
1992年には最初のデジタル旋盤機が導入され、製造能力がはるかに躍進したことにより、新商品の開発にも力を注ぎ込むことが可能となりました。
そして1995年、6ポット(または4ポット)キャリパー、ローター、パッド、ブレーキホース、キャリパー・ブラケットから構成されたアップグレード・キットが誕生しました。
また同年、モンツァ・サーキットから数分のOsnagoに工場を移転、ローターの特殊熱処理工程、スリット加工、R & D、及び、商品管理が一貫して行われております。
2002年、タロックスG88、Sport Japan、そしてアップグレード・キットは、工業製品の安全性を規制し、監督する目的で設立された試験・認証機関テュフ(TUV)の認証を獲得しました。テュフ認証は最も厳しく、しかし、最も必要とされる製品試験をパスしたものだけに与えられます。タロックスのブレーキ・パーツの製造・品質に関しての信頼性の高さの証です。